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年齢 |
出来事 |
平成17年
(2006) |
75歳 |
主治医の「死にたくなければ人工透析が必要だ」との勧めを断固拒否。「延命はあさましい」という一言で周囲の勧めを一蹴し、新聞に取り上げられる。
竹書房より、コミック「花と蛇」第1集・第2集、(長田要)が刊行される
ジェネオン エンタテインメントより、日活名作ロマンシリーズがDVDとして発売される。
<「縄責め」「黒い鬼火より『貴婦人縛り壷』」「美教師地獄責め」「花嫁人形」「少女縛り絵図」「団鬼六監修 SM大全集」「花と蛇」「美女縄化粧」「縄炎夫人」「蛇の穴」
ジーダスよりDVD 「幻想夫人」発売
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平成16年
(2005) |
74歳 |
太田出版より「妖女」が刊行される
太田出版より「新・修羅の花道」が刊行される
マガジンファイブより「団鬼六原作劇画集成(第2集)」(笠間しろう)が刊行される
集英社よりコミック「外道棋記 1―真剣師小池重明」(柳葉あきら)が刊行される
マガジン・マガジンより、コミック「美少年」(小野塚カホリ)が刊行される
コアマガジンより、みうらじゅん氏著「永遠のSM女優 谷ナオミ」が刊行され、序文を寄せる
ジーダスより、DVD「女教師」が発売になる。
ジェネオン エンタテインメント より、「花と蛇」がシリーズでDVDになる。
<「地獄篇」「究極縄調教」「飼育篇」「白衣縄奴隷」>
映画「花と蛇2 パリ 静子」公開、東映よりDVDが発売される。
エルフよりゲーム「花と蛇」が発売される。
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平成15年
(2004) |
73歳 |
平凡社より、堀江 珠喜氏による「団鬼六論」が出版される。
バジリコより「牛丼屋にて
―団鬼六自薦エッセイ集」刊行
竹書房より、コミックス「お柳情炎(上・下巻)」(長田要)が刊行される
マガジンファイブより「団鬼六原作劇画集成(第1集)」(笠間しろう)が刊行される
文藝春秋より「生き方下手」が刊行される
映画「花と蛇」が公開される。東映よりDVDが発売される。
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平成14年
(2003) |
72歳 |
新潮社より「最後の愛人」刊行
講談社より「外道の女」刊行 |
平成13年
(2001) |
70歳 |
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平成12年
(2000) |
69歳 |
朝日ソノラマより、『異形の宴』などを刊行。
角川春樹事務所より、初期の長編 『大穴』が復刻される。
日本文藝家協会編『平成十二年度 代表作時代小説 』に「大切腹」が収録される。
映画『不貞の季節』(監督・廣木隆一)公開。
花紅舎より、鬼六完全監修による写真集 『緋桜のお竜』(主演・ 愛染恭子)発表 |
平成11年
(1999) |
68歳 |
幻冬舎より、 『花は紅-団鬼六の世界』が刊行される。
対談相手に筑紫哲也、西村京太郎、宮本輝、内藤國雄、執筆陣にも豪華な顔ぶれを揃えた、鬼六ワールドの集大成となる。
幻冬舎より、『最後の浅右衛門』を刊行。
新潮社より、 『檸檬夫人』を刊行。 |
平成10年
(1998) |
67歳 |
徳間書店より、 『緋の花』、『色欲是空』を刊行。
KKベストセラーより、『告白』を刊行。
勁文社より、『黒髪情話』、 『修羅の花道』を刊行
太田出版より、『陽炎お艶』などを刊行。
10月 作家活動40周年を期して、かつて率いていた「鬼プロダクション」の復活再興の
為、 花紅舎設立。 |
平成9年
(1997) |
66歳 |
新潮社から 『美少年』刊行。
10月 講演活動中にダウン。病室で「小説新潮」「小説現代」に、短編2本を執筆する。 |
平成8年
(1996) |
65歳 |
横浜の私邸の競売、落札が決まったので、執筆しながら東京・浜田山に移り住む。
朝日ソノラマより『外道の群れ』を刊行。
毎日コミュニケーションより『将棋鑑定団』を刊行。
勁文社より『妖花』を刊行。
幻冬舎より、『真剣師 小池重明』が文庫化される。
「小説新潮」に執筆した「不貞の季節」が話題を呼ぶ。
日本文芸家協会の推薦を受けて、1996年の《現代小説》に選ばれ、徳間書店より刊行される。 |
平成7年
(1995) |
64歳 |
2月 イーストプレス社より『真剣師 小池重明』を刊行。
5月 山海堂より『米長邦雄の運と謎』刊行。
長女、由紀子結婚。
『真剣師 小池重明』は、「本の雑誌」1995年・ベスト10の中で、第5位にランクされる。 |
平成6年
(1994) |
63歳 |
「将棋ジャーナル」、ついに廃刊。
鬼六の手形を盗んだヤクザが自殺し、ますます窮地に追い込まれる。かつて7億円ともいわれた横浜の豪邸も2億円に値下がりし、銀行によって競売にかけられる。
生活のため、復筆宣言。
『真剣師 小池重明』『米長邦雄の運と謎』の執筆にかかる。 |
平成5年
(1993) |
62歳 |
バブル崩壊のきざしを見せ始め、銀行側に融資をストップされる。 |
平成4年
(1992) |
61歳 |
「将棋ジャーナル」の経営、ますますの悪化。赤字は月200万を超す。 |
平成3年
(1991) |
60歳 |
「将棋ジャーナル」の毎月の赤字、200万円に達する |
平成2年
(1990) |
59歳 |
断筆宣言をしてから、巷のSM雑誌が、相次いで廃刊。
「将棋ジャーナル」を新生して発足するも、部数のびず。 |
平成元年
(1989) |
58歳 |
断筆宣言する。曰く、「もう、わいも六十や、ポルノは書けまへん」が理由。
「将棋ジャーナル」を買い取り、自費経営を始める。 |
昭和63年
(1988) |
57歳 |
長男・秀行、結婚。 |
昭和62年
(1987) |
56歳 |
3月 横浜・宮崎町に五億円の豪邸建設。 |
昭和61年
(1986) |
55歳 |
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昭和60年
(1985) |
54歳 |
角川書店より引き継ぎ、富士見文庫が『花と蛇』以下夫人シリーズを刊行。
大陸書房が『鬼六全集』を刊行。 |
昭和59年
(1984) |
53歳 |
6月 宮本安紀子と結婚。
角川書店より、『花と蛇』以下、一連のSM小説が文庫で刊行される。 |
昭和58年
(1983) |
52歳 |
妻・三枝子と離婚。
鬼プロ終焉。
白夜書房より、書き下ろし自伝『蛇の道は』刊行。
三一書房より、 『暗黒文学の世界』刊行。 |
昭和57年
(1982) |
51歳 |
2月 鬼プロ復活。脚本『黒髪縄夫人』を製作(日活配給)。
5月 東京スポーツ紙に『歎きの色事師』連載。 |
昭和56年
(1981) |
50歳 |
4月、サンケイスポーツ紙に『蒼いおんな』を連載。 |
昭和55年
(1980) |
49歳 |
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昭和52年
(1977) |
46歳 |
奥沢に転居。大岡山に仕事場を借りる。 |
昭和51年
(1976) |
45歳 |
4月 日劇ミュージックホールに出演した、谷ナオミのショーを演出。
"団鬼六賞"を、東京三世社主催で創設。年二回、受賞作を「SMセレクト」誌4月、10月号に掲載する。第一回鬼六賞は該当作品なし。 |
昭和49年
(1974) |
43歳 |
2月 友人の手形保証をしたために、2千万円の負債を背負う。執筆のため、鬼プロ解散。
4月 夫人を伴い、ヨーロッパ周遊。 |
昭和48年
(1973) |
42歳 |
鬼プロの社員数、8人。幹部はすべて、女性で占められる。
辻村氏、「SMキング」の緊縛指導に当たる。
谷ナオミの『緊縛特集』、『辻村隆の世界』などを刊行。 |
昭和47年
(1972) |
41歳 |
「SMセレクト」の発行部数、10万部を突破。
鬼プロは映画製作を停止し、雑誌「SMキング」を創刊。山根麗子、久保田マリ等の、「女性編集者だけで作るSM雑誌」で話題を呼ぶ。
3月 東京スポーツに『ポルノ千一夜』を連載。
日活にて、谷・鬼六コンビのSM路線が誕生する。以後、谷ナオミの引退まで、十五本を作成。 |
昭和46年
(1971) |
40歳 |
渋谷の三信マンションに転居。
2月より「週刊大衆」に『陰花植物群』を、一年にわたって連載。イラストは黒田征太郎。
5月 芳賀書店より、篠山紀信、宇野亜喜良、団鬼六の合作による『緊縛大全』刊行。
「SMセレクト」創刊。「SMファン」創刊。
執筆多忙のため、『緊縛大全』を最後に、芳賀書店刊行の写真集に終止符をうつ。
「小説クラブ」の連載が始まる。 |
昭和45年
(1970) |
39歳 |
映画製作は月一本と順調。
また、芳賀書店と提携して、緊縛写真集を毎月刊行する。緊縛師には賀山茂、戸塚栄作を起用。
10月 東京三世社の編集長より、「SMセレクト」創刊の相談を受ける。 |
昭和44年
(1969) |
38歳 |
上京して、ピンク映画製作プロを設立。
4月 "鬼プロ"が誕生。社員にたこ八郎・杉浦則夫・紅真知子。
映画製作と同時に、たこ八郎が劇団を結成する。 |
昭和42年
(1967) |
37歳 |
「奇譚クラブ」の吉田編集長と、緊縛師・辻村隆氏が、真鶴に来訪。
辻村氏の早縄術を初めて見る。
11月 長女・由紀子誕生。 |
昭和41年
(1966) |
35歳 |
東京のアパートを引き払い、農業をするために神奈川県の真鶴へ転居。
東京のピンク映画プロより、シナリオの注文が殺到。
「奇譚クラブ」連載中の『花と蛇』が好評で、原稿料が倍になる。 |
昭和40年
(1965) |
34歳 |
東京の友人らの勧めで、教師をやめ、妻子を連れて上京。「テレビ放送」に入社。ただ、「テレビ放送」は一年足らずで倒産した。 |
昭和39年
(1964) |
33歳 |
『大穴』がテレビ化(主演・植木等)。 |
昭和38年
(1963) |
32歳 |
三崎中学英語教師の板倉三枝子と結婚。
ペンネームを"団鬼六"に変え、「奇譚クラブ」に中断していた『花と蛇』の執筆を再開する。『大利根草紙』を出版。
長男・秀行誕生。 |
昭和37年
(1962) |
31歳 |
SM雑誌「車窓」の編集長・須磨氏と知り合う。
6月 苦し紛れに相場に手を出して失敗。新橋の店は破滅。
8月 すべての女と別れて、田舎教師になるために三浦半島の三崎へ向かう。
10月 三崎中学の英語教師となる。 |
昭和36年
(1961) |
30歳 |
詐欺にあい、更に苦境に追い込まれる。
12月 自棄気味で悪魔小説を書く気になり、「奇譚クラブ」に"花巻京太郎"のペンネームで『花と蛇』を投稿。だが連載3回で、後を続ける気をなくす。 |
昭和35年
(1960) |
29歳 |
酒場は赤字続き、ホステス全員と関係を持つような、自虐的な生活を送る。 |
昭和34年
(1959) |
28歳 |
4月 新橋にて酒場を経営。香西氏の逆鱗に触れ、絶交を申し渡される。結果として、この酒場経営が、文学的活動の命とりとなる。 |
昭和33年
(1958) |
27歳 |
3月 香西氏の紹介で五月書房より『宿命の壁』を処女出版する。
4月 五月書房より書き下ろしの注文を受け、長編小説『大穴』を一ヶ月で完成させる。
6月 『大穴』刊行。ヒットを記録し、松竹より映画化が決定。
(監督・内川清一郎、脚本・菊島隆三、主演・芳村真理、杉浦直樹)
8月 経済雑誌「富士」に『相場師列伝』を連載。
10月 五月書房より長編書き下ろし『近江商人』の注文を受け、取材のため、滋賀県彦根市に行く。が、遊び廻り、何も書けずに帰京。
12月頃 『大穴』、上映。 |
昭和32年
(1957) |
26歳 |
6月 「オール讀物」新人杯に、2作目の『親子丼』で入選。文藝春秋社の香西昇氏の知遇を得て、演劇より作家修行に入るよう激励される。
文春クラブ員になる。
3作目『お化けの街』が濱本浩氏、野上彰氏にほめられ、出版を勧められる。 |
昭和31年
(1956) |
25歳 |
6月 就職を断念。妹のアパートに居候になって、昼は劇作の勉強、夜は新宿の場末をうろつく。
その頃、「奇譚クラブ」の懸賞小説に、"花巻京太郎"のペンネームで投稿。初めて書いたSM小説『お町の最後』が、一位に入選する。同時に文藝春秋社の「オール讀物」新人杯に投稿した『浪花に死す』が佳作入選。劇作より小説によろめきを感じ始める。
「オール讀物」新人杯を狙い、第二作目を書き始める。 |
昭和30年
(1955) |
24歳 |
3月 追試に合格。無事、大学を卒業する。
妹を頼って上京し、映画雑誌「スターストーリー」に入社。アメリカ雑誌のゴシップ記事を翻訳する仕事は性分に合わず、4ヶ月で退職。
以後、転々と職を変える。 |
昭和29年
(1954) |
23歳 |
妹・三代子、楽団ブルーコーツのオーディションに合格。上京してジャズ歌手としてスタートを切る。
本人はアルバイト過多で、大学を一年落第。軽音楽部をやめて、また劇作の勉強を始める。
この付近、西鶴を熟読。 |
昭和27年
(1952) |
21歳 |
関西学院大学軽音楽部にマネージャー兼歌手として入部。
同期に高島忠夫氏がドラムとして在籍する。この年、高島忠夫氏は新東宝のニューフェース試験に合格。 |
昭和26年
(1951) |
20歳 |
劇団の先輩と意見が合わず、エチュードから退団。
ドサ回りの劇団に入り、地方巡業をする。 |
昭和25年
(1950) |
19歳 |
3月 高等部卒業式で、学校長より文化賞を受ける。
4月 関西学院大学・法学部入学。
『劇団エチュード』を設立。創作劇を発表。 |
昭和24年
(1949) |
18歳 |
高等部の学生会長になる。
オペラ熱昂じ、歌唱力テストの為、妹・三代子を連れ、街ののど自慢大会に出場。妹、三回出場して三回とも優勝。本人は三回とも落選。オペラ歌手の夢を放棄し代わって演劇に興味を持つ。
学生会長の地位を利用し、演劇部を設立、自分が脚本を書き、主役を演じる。
兵庫県学生演劇コンクールで脚本が一等賞を受賞。 |
昭和22年
(1947) |
16歳 |
関西学院高等部入学。
藤原義江歌劇団に影響を受け、オペラ歌手になることを決意。 |
昭和20年
(1945) |
14歳 |
8月 終戦。 |
昭和19年
(1944) |
13歳 |
家族は大阪に移住。
関西学院中等部に入学。勤労動員の為、尼崎の軍需工場に通う |
昭和6年
(1931) |
0〜1歳 |
4月16日(戸籍では9月1日) 滋賀県彦根市斧橋九丁目に生まれる。
本名、黒岩幸彦。稼業は 映画館経営。 |